長久手の地名の由来|「長湫」から「長久手」へ、地名の歴史と戦国期の戦いまで

「長久手」と書いて「ながくて」と読む。3文字の漢字に込められたのは、武家の縁起担ぎではなく、水草の茂る湿地のイメージでした。「湫(くて)」という字は、じめじめした低湿地のこと。長久手の地名は、そのまま「長い湿地」を意味する古い言葉に行き着きます。地名の表記がたどってきた変遷、戦国期に名を残した「長久手の戦い」、そして平成の市制施行までの3つの線を整理しながら、長久手という地名の輪郭をたどります。

長久手という地名のルーツをたどる(イメージ)
目次

「くて」は湿地を意味する古い言葉

地名研究の世界では、「くて(湫)」という言葉はよく知られた地名要素のひとつです。意味は「じめじめして水草などが生えている低地」。湧水のある場所、川沿いの湿田、谷地の底——そういう場所が「くて」と呼ばれてきました。長久手は、文字通り「長い湿地」。鴨田川沿いに細長く延びる低湿地が、地名のルーツに据えられている、というのが地元の長久手市立図書館の地名展などでも紹介されている説明です。

長久手市内には、いまでも湧水を活かした田が残るエリアがあります。「くて」という言葉が、ただの地形を指すだけでなく、その地形のうえで人がつくってきた水田の景色まで含んでいたことが、現地を歩くと見えてきます。

表記の変遷:長くて→長湫→長久手

地名「長久手」は、文字としていくつかの段階を踏んで現在の形になりました。文献に残る表記をならべると、変化のプロセスが見えます。

  • 戦国期:「長くて郷」(仮名表記が混じる)
  • 江戸期:「長久手村」「長湫村」(漢字表記が混在)
  • 明治39年(1906年):上郷村・岩作村・長湫村が合併し「長久手村」に統一
  • 昭和46年(1971年):町制施行して「長久手町」
  • 平成24年(2012年):市制施行して「長久手市」

注目したいのは、「湫」という字が「久手」に置き換わっていく過程です。地元の解説によれば、「湫」が含む湿地のイメージを、「久しく続く手」というおめでたい字に置き換えたのが、いまの「長久手」表記になった経緯。地名は意味だけでなく、表記そのものに「街の自己像」が反映されていきます。

長久手の地名表記の変遷(イメージ)

「長久手の戦い」が、地名を全国区にした

長久手という地名が、全国の歴史教科書に載る言葉になったのは、天正12年(1584年)の「小牧・長久手の戦い」によります。徳川家康・織田信雄連合軍と、羽柴秀吉軍が、現在の小牧市から長久手市にかけてのエリアで激突した一連の戦闘。とくに4月9日の長久手での戦闘は、秀吉軍の池田恒興・森長可といった部将が戦死した、戦国史上の大きなイベントとして残っています。

長久手市には現在、「長久手古戦場公園」や、池田恒興・森長可らが葬られた塚など、戦いの史跡がいくつも残っています。これらは国の史跡にも指定されている重要な歴史遺産です。地名としての「長久手」は、すでにこの戦いの段階で文書に登場しているので、地名の起源そのものは戦いより古いことになります。「戦いの名前から地名が生まれた」のではなく、「すでにあった地名が、戦いによって全国に広まった」というのが正しい順番です。

長久手古戦場の史跡(イメージ)

1906年の合併、3つの村の名前はどこへ行った?

明治39年の合併で、上郷村・岩作村・長湫村が「長久手村」になりました。日進市と同じ時期に、この地域では一斉に村の整理が行われたわけです。3村のうち、村名は「長湫」を採り、字面を「長久手」に置き換えた——という選択が、いまの市名につながっています。

合併で消えた「上郷」「岩作」の名前は、いまも長久手市内の町名として残っています。上郷地区は古戦場公園の近く、岩作(やざこ)地区は市役所のあるエリア。「岩作」と書いて「やざこ」と読むのは、地名研究家のあいだでも有名な難読地名のひとつです。

2005年の万博、2012年の市制施行

長久手の名前を、もう一度全国に広めたのが2005年の愛・地球博(愛知万博)です。万博跡地はモリコロパーク(愛・地球博記念公園)として整備され、2022年にはジブリパークがオープン。地名の文字面が「長久手」へと書き換えられた明治期、戦いで全国に広まった戦国期、博覧会で再び世界に開かれた21世紀——。約400年の間に、3度違うかたちで「長久手」という名前が広く知られるイベントが起きてきた、とも言えます。

2012年(平成24年)、長久手町は市制を施行し「長久手市」になりました。湿地から始まり、戦いを経て、若い世代の街として現在に至る——地名と街の歩みが、これほどはっきり重なっているケースは、そう多くありません。

現代の長久手、モリコロパークと若い街並み(イメージ)

地名を歩く、長久手で見られるルーツ

  • 長久手古戦場公園・色金山歴史公園(戦国期の名の証し)
  • 岩作(やざこ)の地名(合併前の村名のなごり)
  • 市内に点在する湧水・湿地(「くて」の由来そのもの)
  • 長久手市文化の家・市立図書館の地名展示資料

長久手の地名は、湿地・武家・若さの3層が重なってできています。市内を歩くときに、どの層がいまの自分の足元にあるかを意識すると、街がぐっと立体的に見えてきます。

最後に

「くて」が湿地を意味する古い地名から、戦国期の戦いを経て、平成の市制施行まで。長久手という名前は、土地の地形と人の歴史が重なってできた言葉です。

万博や大学や公園の街、として知られる今の長久手も、地名のルーツを知ると、また違う表情で見えてきます。

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