「日進市」という名前は、いつから、どこから来たのか。地名の出自を調べていくと、明治22年の町村制、3村の合併、村長の理想、そして装甲巡洋艦の名前――いくつかの線が交差して、ひとつの市の名前に集約していく過程が見えてきます。日進という言葉が「進歩する」というモダンな意味を持っているのは偶然ではなく、明治期の日本がそういう未来像を、村の名前に託した時代だったから。地元の郷土史誌にあたりながら、日進という地名の輪郭をたどります。

1889年、14カ村が3村になる
地名の歴史をたどるときに、まず押さえるべきは明治22年(1889年)の町村制施行です。日本の市町村の枠組みが、現在のかたちに近づいた節目の年。日進市の前身となるエリアでは、このとき14カ村が統廃合され、3つの村にまとめられました。
- 香久山村(赤池村など6村が合併)
- 白山村
- 岩崎村
この3村が、その後の合併で「日進村」に集約されていきます。地図でいえば、現在の日進市の市域が、ここでざっくりと姿を見せ始めた瞬間です。
1906年、3村が合併して「日進村」になる
明治39年(1906年)、香久山村・白山村・岩崎村の3村が合併して日進村が誕生します。これが「日進」という名前の始まりです。3つの村のどれかの名を引き継ぐのではなく、まったく新しい名前を採った——という選び方は、当時としても珍しいことではありませんでした。村の合併では、各村のメンツを立てるために、新しい上位概念の名を採ることがしばしばあったからです。
では、なぜ「日進」だったのか。実はこの問い、地元の歴史書のあいだでも完全には決着していません。
「日進」の名の由来、二つの説
「日進」の出自について、地元の文献は二つの説を残しています。
説1:装甲巡洋艦「日進」の進水式に由来する説
1923年(大正12年)発行の『愛知郡誌』は、村名「日進」の由来を、装甲巡洋艦「日進」の進水式と結びつけて記しています。装甲巡洋艦「日進」は1903年(明治36年)にイタリアで進水し、日露戦争で活躍した日本海軍の艦船。当時の村人にとって、勢いのある「日進」という言葉は、新しい時代を象徴するように響いたのかもしれません。
説2:「明瞭ではない」とする慎重な見解
一方、1983年(昭和58年)発行の『日進町誌』は、「命名の理由は今一つ明瞭ではない」と慎重な立場を取ります。装甲巡洋艦由来説について明示的な反証はないものの、決定的な一次史料が残っていないため、結論を保留しているのです。
地元の地名研究者や郷土史家のあいだでは、「日に日に進む=日進」という、よりシンプルな進歩主義的な命名だったのではないか、という見方も根強くあります。明治末から大正にかけては、新しい村名に「明治」「大正」「昭和」といった年号を入れたり、「明進」「向進」「日新」といった進歩を示す字を採ったりする例が全国にありました。「日進」もその系譜の一つ、と考えるのが自然な気もします。

合併前の3村の名前は、いまも地名に残っている
1906年の合併で消えた3村の名前は、現在の日進市の地名としていまも生きています。
香久山|持統天皇の歌から採られた名
香久山村の名は、初代村長・出原三郎が「政治は潔白であるべし」という理想を込めて、持統天皇の歌「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香久山」からとった、と地元の記録にあります。村名に和歌の言葉を採るというのは、明治期の知識人の村政らしいエピソードです。
岩崎|岩山の崎、という地形そのもの
岩崎の名は、江戸時代の地名考である『尾張国地名考』に「岩山の崎」とあります。岩崎城址公園の高台が、まさにその「岩山の崎」のあった場所です。岩崎は地形がそのまま地名になった、いちばん古いタイプの命名と言えます。
米野木|「小梅の木」が音便で詰まった名
米野木については、『尾張国地名考』『尾張志』に「小梅の木の約るなり」と記されています。「こうめのき」が「こめのき」へ、文字としても「米野木」に転じていった。地名は喋り言葉のなかで縮められたり書き換えられたりするので、表記と音の両方を見るとルーツが見えます。

1958年に町、1994年に市
日進村が日進町に昇格したのは1958年(昭和33年)。さらに、1994年(平成6年)に市制が施行されて日進市となりました。村→町→市の3段階を、約90年かけて踏んだことになります。地下鉄鶴舞線の延伸(赤池駅開業)、住宅団地の整備、名古屋市のベッドタウン化——市制施行の背景には、戦後の人口流入の急加速がありました。
「日進」という地名が、明治末の合併で生まれて、戦後の都市化の波で市になった。村名の由来が一つに定まらないこと自体が、この街が複数の歴史を重ねてきた証しのようにも読めます。
地名と暮らしを重ねる、TONARIの読みどころ
地名の由来を知ると、街を歩く目線がほんの少し変わります。岩崎城址公園で展望台に立ったとき、あの丘が「岩山の崎」だったと思い出すと、足元の岩肌が違って見える。米野木の住宅街を散歩していて、「小梅の木」が地名のもとだったと知ると、果樹のあった時代の景色が頭の中にちらつく。日進という名は、進歩主義のスローガンと、明治の艦船と、3村の歴史が重なってできた言葉です。

最後に
地名の由来をたどると、街そのものが少し違って見えてきます。日進という名前は、進歩主義のスローガンと、明治の艦船と、3村の歴史が重なってできた言葉です。
あなたの住んでいる街の地名にも、思いがけない物語が隠れているかもしれません。
