みよし市の名前の由来|「三好」からひらがなの市名になるまで

ひらがな表記の「みよし市」。看板や行政文書でこの名前を目にするとき、どこか柔らかい印象を受ける人もいれば、「三好町」だった時代を覚えている人にとってはまだ新しく感じる、そんな名前です。けれど地名のルーツを掘っていくと、「三好」よりさらに古い「三吉(みきち)」という呼び名にたどり着きます。江戸時代の漢字の書き換え、徳島県三好市との重複、そして2010年のひらがな市制施行——みよし市の名前は3度書き換えられ、その都度この街の自己像を更新してきました。本記事では、その3層の変遷をひとつずつたどります。

みよし市の名前の由来をたどる(イメージ)
目次

もっとも古い名は「三吉(みきち)」

みよし市の地名のいちばん古い形として知られるのが「三吉(みきち)」です。三河国の僧侶・行寛阿闍梨(ぎょうかんあじゃり)の出身地として、法蔵寺周辺にこの地名の記録が残ります。「みよし」と読むようになる以前、この地は「みきち」と呼ばれていた——というのが、地元の郷土史家のあいだで共有されてきた由来です。

「三吉」と「三好」は字面が似ていますが、読み方がまったく違います。「みきち」が「みよし」へ、文字としても「三吉」が「三好」へ。読み変えのきっかけが何だったのか、決定的な記録は残っていないものの、寛文年間(1661〜1673年)には「三好」という表記に置き換わっていたことが、文献から確認できます。

江戸時代に「三好」へ書き換えられる

江戸時代、寛文年間にこの地の名が「三好」と書かれるようになります。「みきち」から「みよし」への音の変化は、現地の喋り言葉の中で起きたと考えるのが自然。それに合わせて文字も書き換えた、という流れです。「三吉」より「三好」のほうが字としても縁起が良い、という美意識も働いた可能性があります。

その後、明治の町村制で「三好村」が誕生し、長く「三好村」「三好町」として親しまれてきました。みよし市の旧称「三好町」は、地元の人にとっていまもなじみのある呼び方として残っています。

三好町時代のなごり、街なかの風景(イメージ)

2010年、ひらがなの「みよし市」へ

2010年(平成22年)1月4日、三好町は市制を施行し、同時に名前を「みよし市」(ひらがな)に変えました。市の名前を漢字からひらがなにする、という変更は当時としても珍しい決断でした。

背景には、徳島県三好市の存在があります。徳島県三好市は2006年(平成18年)に成立していて、すでに「三好市」という漢字表記の市が日本に存在していた。同一漢字の市名は基本的に避ける——という総務省の運用方針もあり、愛知の三好町が市制を敷くにあたって、ひらがな表記の「みよし市」を採用したわけです。

「みよし」の音の意味、3つの説

「みよし」という音そのものの由来については、地元の歴史書のあいだで複数の説が並んでいます。

  • 三吉(みきち)転訛説:行寛阿闍梨の出身地「三吉」が音便で「みよし」へ
  • 三好(縁起字)採用説:「三好=三つそろって良し」という縁起の良い字を当てた
  • 地形・位置由来説:「上・中・下」と分かれる地区の三つを「三好(みよし)」とまとめた、とする見方

これらの説は互いに排他的ではなく、むしろ重なり合っていると見るほうが自然です。最初は「三吉(みきち)」だった地名が、口の中で「みよし」と読まれるようになり、その音に対して「三好」という縁起の良い字が当てられ、合併の過程で複数の地区を束ねる名としてもしっくりきた——。地名は1つの理由で生まれることのほうが少ないので、複数の説が並んでいるほうが、むしろリアルです。

みよしの街、複数の地区が「三つ」をなす(イメージ)

みよし市内の地名にも、合併の名残が残る

明治期の合併でみよし(三好)村に統合された旧村の名前は、いまの地名としていまも生きています。莇生(あざぶ)、福谷(うきがい)、打越(うちこし)、黒笹(くろざさ)、明知(みょうち)など、市内の地区名は読み方も含めてバリエーションが豊富。みよしの街は、合併で生まれた一つの市名と、合併前の各村の地名が、二重に重なって機能しています。

三好ヶ丘・三好池・三好公園——「三好」の名前は地区名や施設名として現役です。市の正式名称はひらがなになっても、街の中には漢字表記の「三好」がたくさん残っている。これがみよし市の地名を歩くときの面白いところです。

三好ヶ丘・三好池に残る「三好」の名(イメージ)

地名から見た、いまのみよし市

「三吉→三好→みよし」という3段階の書き換えは、それぞれ時代の自己像を反映しています。三吉は、僧侶ゆかりの古い地名そのもの。三好は、江戸期の縁起字としての文字選び。みよしは、近代以降に他都市との重複を回避するための平成の命名。同じ街の名が、時代ごとに違う意味を背負ってきたわけです。

地名のルーツを意識して市内を歩くと、三好公園の池畔で「三好」を見ても、駅名の「三好ヶ丘」を見ても、ひらがなの市役所看板を見ても、それぞれ違う時代の名前を読んでいることに気づきます。

最後に

三吉から三好、そしてひらがなの「みよし」へ。地名は時代の選択を映す鏡で、徳島県三好市との重複を避けて選ばれた「みよし」には、街がいまの自分を選び直した瞬間が刻まれています。

地名の由来を知ると、街への愛着がほんの少し深くなります。

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