「東郷町」と聞いて、東郷平八郎の名前を思い浮かべる人が一定数います。日露戦争、日本海海戦——そんな連想が走るのは自然ですが、愛知県東郷町の地名はそれとはまったく無関係です。1906年の合併で、愛知郡の東部に位置する村だから——そのまま「東の郷」を採って「東郷」に。理由はいたってシンプル。けれど、いまの「東郷町」という名前にたどり着くまでには、戦国期の「和具」、江戸期の「諸輪村」「和合村」、明治の「諸和村」「春木村」、そして昭和の町制施行と、いくつもの名前の層が重なっています。本記事ではその地層を、上から順に掘り下げていきます。

1906年、「東郷村」が誕生する
愛知県東郷町のいまの名前のスタートは、1906年(明治39年)5月10日です。この日、愛知郡春木村と諸和村が新設合併して、「東郷村」が発足しました。
村名の由来は、ストレートに地理的な位置関係です。愛知郡の東部、また尾張国の東部に位置することから、「東の郷」を採って「東郷」と命名された——というのが、地元の歴史誌・東郷町公式の地名説明にも繰り返し出てくる説明です。明治期の合併では、こうした地理由来の命名がしばしば採られました。各村のメンツを立てつつ、新しい上位概念の名を採る——「日進」「東郷」のような近代的な響きの地名は、この時期に多く生まれた共通点があります。
1889年、町村制でまず「諸和村」が生まれる
東郷町の地名の歴史で最初に押さえたいのは、1889年(明治22年)の町村制です。このとき愛知郡では、諸輪村と和合村が合併して「諸和村」が誕生しました。「諸和」という名前そのものが、合併で消えた2村の頭文字を組み合わせた合成地名です。日本の合併村ではよく使われた命名手法で、「諸=諸輪、和=和合」をそれぞれ採って合体させた、ストレートな造語というわけです。
この「諸和村」が、17年後の1906年に春木村と合併して、東郷村になりました。整理すると、流れはこうです。
- 1889年:諸輪村+和合村 → 諸和村
- 1906年:諸和村+春木村 → 東郷村
- 1970年:東郷町(町制施行)
- 現在:愛知郡東郷町(市制は施行せず、町のまま)

東郷の3つの基層:諸輪・和合・春木
東郷町の地名のいちばん深いところには、3つの旧村があります。それぞれの来歴を簡単にたどると、東郷の街の地形と暮らしのルーツが見えてきます。
諸輪(もろわ)|江戸期からの村名
諸輪は、江戸期の愛知郡諸輪村を前身とする地区です。現在の東郷町諸輪エリアにあたります。地名としては比較的古い系譜を持ち、町の南東部に広がる集落の名として今も生きています。
和合(わごう)|戦国期は「和具」と呼ばれていた
和合は、戦国期には「和具(わぐ)」と表記されていたとされます。「和具」が「和合」へと、字面が縁起の良い方向に書き換えられていったと考えるのが地名研究の見方です。同じ場所の名前が、戦国の表記から江戸期にかけて整っていく——という典型的な変遷です。
春木(はるき)|江戸期は3つの村に分かれていた
春木は、明治期の村制施行の際にひとつの「春木村」にまとまりました。江戸期には傍示本村・祐福寺村・部田村として、3つに分かれて存在していたエリアです。明治の村制では「春木」という名で統合され、その後1906年の合併で東郷村の一部になりました。

1970年、町制施行で「東郷町」へ
東郷村が町制を施行して「東郷町」になったのは1970年(昭和45年)。日進・長久手と比べても早い段階で町に昇格しています。一方で、現在もみよし・長久手のように市制施行はしていません。「町」のまま運営する選択を続けています。
市制施行の要件は人口5万人以上などいくつかありますが、東郷町の人口はおよそ4万人台前半。市制施行のラインに微妙に届かない、というのも理由のひとつです。ただ、町のままでいる選択は、必ずしも消極的なものではありません。「町」という単位で続けるからこそ、行政の意思決定が早い、住民との距離が近い、という運営上のメリットを生かしている面もあります。
地名から見た東郷町、いまの街
東郷町の名前は、シンプルです。地理的な位置をそのまま名前にしたから、誰がたどっても由来に迷うことがない。一方で、町の中の地名——諸輪、和合、春木、傍示本、祐福寺——には、合併で消えた古い名前が、生活道路の交差点や小学校の名前としていまも残っています。地名の階層が、街の歴史の階層をそのまま映している、ということです。
2025年に開業した「ららぽーと愛知東郷」も、新しい層をひとつ加えた施設名です。名前のついた時期だけを見れば、戦国期の「和具」から、令和の「ららぽーと」まで——東郷町の地名の歴史は、時代ごとの「東郷の自己像」のレイヤーが積み重なってできています。

最後に
「東の郷」というシンプルな地理由来。諸輪・和合・春木の3旧村が合併して生まれた東郷町は、地名にもその素朴さが残っています。
地名の由来をたどることで、街の成り立ちが少し違って見えてくるはずです。
