豊田市の地名の由来|「挙母→豊田」改名の歴史と衣の里・トヨタ自動車の3層

「豊田市」は、最初から豊田だったわけではありません。1959年までは「挙母(ころも)市」、さらにさかのぼれば「衣(ころも)の里」。山と矢作川に恵まれ、織物の地として呼ばれていた古い名前を、街は持っています。市名が「豊田」に変わったのは1959年。トヨタ自動車のおひざ元として全国に知られるクルマのまちへと成長したこと、そして「挙母」という難読地名を分かりやすくしたい、という地元の声が背景にありました。本記事では、「衣の里」「挙母」「豊田」——3つの地名がそれぞれどのように街の自己像を運んできたのかを、順にたどっていきます。

豊田の名前の由来をたどる(イメージ)
目次

古い名前は「衣(ころも)の里」

豊田の地名のいちばん古い層は、「衣の里」と呼ばれます。豊田の北東部には矢作川が流れ、山と河川に恵まれた地形が広がっています。古くは織物の生産地として知られ、その産業と地形が組み合わさって「衣(ころも)の里」という名で呼ばれていた、というのが豊田市公式の歴史紹介にある説明です。

「衣」がそのまま地名として残ったのが、後年の「挙母(ころも)」です。漢字の表記は変わっていますが、読みは「ころも」で一貫していました。地名の音と漢字の対応関係は、長い時間の中で何度か書き換えが起きるもので、「衣の里」→「挙母」もその一例です。

江戸期は「挙母藩」、戦後すぐは「挙母市」

江戸期、この地は「挙母藩」として治められていました。城下町としての挙母町が、現在の豊田市中心市街地のルーツです。明治の町村制を経て挙母町、そして戦後の1951年(昭和26年)に市制を施行して「挙母市」になりました。

「挙母」という漢字は、地元の人なら読めても、県外の人にとっては難読地名の代表格です。「ころも」という読みは、文字を見ただけではまず推測できない。これがのちに市名変更の議論につながる伏線になっていきます。

挙母市時代のなごり、豊田市内の歴史的景観(イメージ)

1959年、「挙母市」が「豊田市」に変わる

1958年(昭和33年)、地元の商工会議所から市名変更の請願書が提出されました。理由は2つ。

  • トヨタ自動車の本社のある挙母市が、全国有数の「クルマのまち」に成長したこと
  • 「挙母」という地名が読みにくく、外部からの認知に支障があること

市民の間では、賛成派と反対派に分かれる議論が展開されました。「先祖代々の地名を変えるのか」という反対意見と、「全国に通じる名前にしたい」という賛成意見が、1年以上にわたってぶつかりました。最終的に1959年(昭和34年)1月、市名は「豊田市」に変更されることになります。あわせて、トヨタ自動車の本社のある町も「トヨタ町」に改名され、現在の本社住所は「愛知県豊田市トヨタ町1番地」となりました。

「豊田」の文字は、企業名と人名の両方から

「豊田市」の「豊田(とよた)」は、市内に本社を置くトヨタ自動車と、同社の創業者一族の姓「豊田(とよだ)」に由来します。地名としての「豊田」は、企業名の「トヨタ」(カタカナ)と、人名の「豊田(とよだ)」、そして市名の「豊田(とよた)」の3つが、微妙に音や文字を変えながら共存しているのが面白い特徴です。

市名の読みは「とよた」、創業者一族の姓は「とよだ」、会社名はカタカナの「トヨタ」。同じ漢字でも読みが違う、という形で、企業と街と一族の名前を区別しています。これは戦後の地名改名の例の中でも、ユニークな分け方です。

豊田市・トヨタ自動車本社のあるトヨタ町(イメージ)

市町村合併で大きくなった「豊田市」

豊田市はその後、周辺町村と段階的に合併を重ね、いまの広大な市域を形成していきます。とくに大きいのは2005年(平成17年)の平成の大合併で、稲武町・足助町・下山村・旭町・小原村の6町村と合併し、面積918平方kmという広大な市域を持つようになりました。

このとき、合併で消えた町村の名前は、いまも豊田市の地区名として残っています。足助、稲武、小原、藤岡、下山、旭——。それぞれが固有の地名・文化・産業を持っていて、「豊田市」というひとつの市名のなかに、複数の街の名前が入れ子で生きているのが、いまの豊田の特徴です。

豊田市・足助、稲武、小原など合併で広がった山あい(イメージ)

地名から見える、豊田という街の3層

豊田の地名を時代順に並べると、街の自己像の変化がそのまま読めます。

  • 「衣の里」「挙母」:山・川・織物の里としての古層
  • 「豊田市」:戦後のクルマのまちとしての近代層
  • 「足助・稲武・小原ほか」を抱える広域市:平成の大合併以降の現代層

「豊田=トヨタ自動車のまち」という単純なイメージだけだと、この街の地名が語っている歴史の深さを見逃してしまいます。挙母の名は今も豊田市内の地名・施設名・学校名として現役。中心市街地の挙母祭り(ころもまつり)など、地名と祭りが結びついた行事もあります。

最後に

衣の里から挙母、そしてトヨタ自動車とともに「豊田市」へ。地名は街の経済と歴史を映す鏡で、3層に重なった豊田の名前には、街が時代ごとに姿を変えてきた跡が刻まれています。

車の街として知られる豊田の、もう一つの顔がここにあります。

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